




天照、遠い海で ― ラヨーンの朝と夕
太陽は、どこにでもある。
日本の朝にも、オーストラリアの夕方にも、同じひとつの太陽が昇り、そして沈む。天照(あまてらす)の光は、国境も海も知らず、ただあまねく地上を照らしている。——頭ではそう、わかっていたはずだった。
けれど、タイ・ラヨーンの海辺で出会った太陽は、私の知るどの太陽とも、違う顔をしていた。

夜明け前、まだ薄暗い浜に出る。水平線の向こうが、ゆっくりと灼(や)けはじめた。二月の乾季の朝は淡い靄(もや)に包まれ、昇る太陽は、まぶしさよりも先に、やわらかさを届けてくる。金色の帯が、凪(なぎ)いた海の上を、まっすぐ私の足元まで伸びてきた。

浜には、朝の海を見にきた家族がいた。子どもが波打ち際で足を濡らし、その影が、長く砂に落ちている。言葉はわからなくても、朝日に向かって立つ人の姿は、どこの国でも変わらない。——それでも、その背中を照らす光の色は、やはり少しだけ違っていた。
南に開けたこの海岸では、朝日の昇った同じ空を、夕日がまた反対側から灼く。一日のはじまりと終わりが、同じ波の上に落ちていく。

夕暮れ、寄せては返す波が、濡れた砂に、溶けた金属のような光の筋を残す。沖の向こうには、湾を抱くように、遠い岬の稜線が横たわっていた。

太陽は、その半島へと少しずつ近づいていく。逆光に沈む山影は藍色のシルエットになり、空はいつしか、熟れた果実のような色に染まっていた。

やがて陽は、稜線のすぐ上まで降りてくる。オーストラリアの、広すぎるほどの空でもない。日本の、澄みきった冬の朝でもない。——湿った南の空気ににじむ、この土地だけの、やわらかく紅(あか)い太陽。
太陽は、ひとつ。どこにいても、私たちは同じ光の下にいる。それなのに、旅先で出会う太陽は、いつも初めて見る顔をしている。天照は、あまねく照らしながら、その土地の空気を、海を、人の暮らしをまとって、少しずつ違う光になるのかもしれない。
ラヨーンの朝と夕に、私は静かに、胸を打たれた。
Camera: Sony NEX-5N
