タイ・アユタヤ遺跡ワット・マハタート、オレンジ色の袈裟をまとった石造りの仏像を横から捉えた構図。首も体も無事な仏像が結跏趺坐で座り、膝にマリーゴールドの花輪が供えられている。背後には崩れた赤レンガのプラーンが青空にそびえる。
崩れた塔を背に、袈裟をまとって座す。破壊のまぬがれた仏は、今日もワット・マハタートで祈られている。
タイ・アユタヤ遺跡、オレンジ色の袈裟をまとった石造りの仏像を見上げた構図。首も体も無事な仏像が結跏趺坐で座り、膝にマリーゴールドの花輪が供えられている。背後には赤レンガのプラーン(塔堂)が青空にそびえる。
袈裟をまとい、今も祈られる仏。破壊をまぬがれたその姿は、降魔印を結んだまま、悟りの瞬間を静かにとどめている。
タイ・アユタヤ遺跡、崩れた赤レンガのプラーンの前で結跏趺坐する石造りの仏像を横から捉えた構図。首も体も無事に残り、降魔印を結ぶ。周囲にはレンガの瓦礫や崩れた塔が広がり、木々の緑と赤く色づいた葉が背景を彩る。
瓦礫のなかで、瞑想をする一体。破壊を耐えた仏は、悟りの印を結んだまま、今も変わらずそこに在る。
タイ・アユタヤ遺跡、崩れた赤レンガの塔を背に結跏趺坐する石造りの仏像。首も体も無事に残り、降魔印を結んで座る。左手前には頭部を失った別の仏像の残骸が見え、緑の木々が背景に広がる。
破壊をまぬがれた、瞑想中の一体。降魔印を結ぶ無傷の仏の足元に、首を失った仏が横たわる。

破壊をまぬがれた仏たち悟りの印と、平和への祈り

崩れた赤レンガの塔を背に、その仏は静かに座っていた。

鮮やかなオレンジ色の袈裟をまとい、膝には黄色いマリーゴールドの花輪。首を切られた仏像が数えきれないほど残るこの寺院で、頭部も、体も、無傷のまま残った一体だった。乾季の澄んだ青空の下、袈裟の橙色が目に鮮やかで、思わず足を止めた。

タイ・アユタヤ遺跡ワット・マハタート、オレンジ色の袈裟をまとった石造りの仏像を横から捉えた構図。首も体も無事な仏像が結跏趺坐で座り、膝にマリーゴールドの花輪が供えられている。背後には崩れた赤レンガのプラーンが青空にそびえる。
崩れた塔を背に、袈裟をまとって座す。破壊のまぬがれた仏は、今日もワット・マハタートで祈られている。

ここはタイ・アユタヤ、ワット・マハタート。首を切られた仏像たちも、木の根に抱かれた仏頭も、そしてこの無傷の仏も、すべて同じ境内にある。破壊しつくされた王都の寺院で、なぜかこの仏だけが、往時の姿をとどめて座りつづけていた。

興奮と、ある気づき

正直に言えば、この地を歩きはじめたとき、私の胸にあったのは高鳴りだった。数百年前の歴史的建造物を目の前にして、その迫力とスケールに、ただ興奮していた。

けれど、首を落とされた仏像や、崩れ落ちたレンガの前を歩くうち、その高鳴りは少しずつ別の感情に変わっていった。ここで起きたのは、戦争だ。1767年、この都はビルマ軍の侵攻によって焼き払われ、仏の首は組織的に落とされた。そしてふと、思い出した。私の国、日本もまた、戦争の惨禍を経験した国であることを。空襲で焼かれた街、失われた無数の命。遠い異国の廃墟は、けっして他人事ではなかった。

観光気分で構えていたカメラを、一度おろした。そして、敬意をもってシャッターを切ろう、と気持ちを切り替えた。ここは見世物ではなく、戦争の記憶が刻まれた、祈りの場なのだから。

タイ・アユタヤ遺跡、オレンジ色の袈裟をまとった石造りの仏像を見上げた構図。首も体も無事な仏像が結跏趺坐で座り、膝にマリーゴールドの花輪が供えられている。背後には赤レンガのプラーン(塔堂)が青空にそびえる。
袈裟をまとい、今も祈られる仏。破壊をまぬがれたその姿は、降魔印を結んだまま、悟りの瞬間を静かにとどめている。

悟りの瞬間をとどめる印

この仏が結んでいる手の形には、意味がある。結跏趺坐(けっかふざ)を組み、右手を膝の上から地へと垂らす——これは「降魔印(ごうまいん)」、または「触地印(そくちいん)」と呼ばれる印相だ。

その由来は、ブッダが悟りを開いた瞬間にさかのぼる。瞑想するブッダを誘惑し、妨げようとする魔(マーラ)に対し、ブッダは右手で大地に触れ、大地を証人として自らの悟りを示した——その決定的な場面を表しているのが、この降魔印だ。大地に触れる指先には、いかなる誘惑にも揺るがない、不動の決意が込められている。

アユタヤ様式の仏像は、力強い体躯とおだやかな面立ちを特徴とする。破壊されずに残ったこの仏の、静かに閉じた眼と口元にたたえられたかすかな微笑は、二百数十年の歳月を越えて、悟りの瞬間の静けさをそのまま今に伝えていた。

破壊と存続、隣り合わせで

境内をさらに歩くと、もう一体、無傷の仏に出会った。崩れたプラーンを背に、レンガの基壇の上に端座している。

タイ・アユタヤ遺跡、崩れた赤レンガのプラーンの前で結跏趺坐する石造りの仏像を横から捉えた構図。首も体も無事に残り、降魔印を結ぶ。周囲にはレンガの瓦礫や崩れた塔が広がり、木々の緑と赤く色づいた葉が背景を彩る。
瓦礫のなかで、瞑想をする一体。破壊を耐えた仏は、悟りの印を結んだまま、今も変わらずそこに在る。

この仏もまた、降魔印を結んでいた。首を落とされた仏が大半を占めるこの寺院で、破壊をまぬがれて往時の姿を保つ仏は、数えるほどしかない。なぜこの数体だけが残ったのか、はっきりした理由は分からない。ただ、崩れ落ちた瓦礫のただ中で、変わらぬ姿を保つその一体は、失われたものの大きさと、それでも残ったものの尊さを、同時に伝えているようだった。

タイ・アユタヤ遺跡、崩れた赤レンガの塔を背に結跏趺坐する石造りの仏像。首も体も無事に残り、降魔印を結んで座る。左手前には頭部を失った別の仏像の残骸が見え、緑の木々が背景に広がる。
破壊をまぬがれた、瞑想中の一体。降魔印を結ぶ無傷の仏の足元に、首を失った仏が横たわる。

近づいて気づいた。無傷の仏の、すぐ後ろ。そこには、頭部を失った別の仏像の残骸が、静かに瞑想していた。破壊された仏と、まぬがれた仏。両者が、同じ一枚の視界の中に、隣り合って存在している。栄えたものは滅び、滅びたものの中にも、残るものがある。アユタヤという場所の光と影が、この小さな一角に、そのまま凝縮されていた。

平和を祈って、シャッターを切る

無傷の仏の前に立ったとき、私はもう、ただ興奮しているだけの旅行者ではなかった。

戦争は、あってはならない。けれど歴史を見れば、人はくり返しそれを起こしてきた。世界が平和であることが、いちばんいい。そのためには、一人ひとりが、遠い国の出来事に、過去の歴史に、無関心でいてはいけないのだと思う。廃墟を前にして、そんなことを考えていた。だからこの無傷の仏にカメラを向けたとき、私は世界が、そして日本が、平和でありつづけることを、心のどこかで祈りながらシャッターを切っていた。

撮り終えて、カメラをおろした。そして、自然と手が合わさった。信仰の作法も、正しいお参りの仕方も、私は知らない。それでも、この地で二百数十年、破壊を耐えて座りつづけてきた仏に、ただ手を合わせずにはいられなかった。そっと一礼して、次の場所へと歩き出した。

首を切られた仏も、木の根に抱かれた仏頭も、この袈裟をまとった仏も、みな同じ境内にいる。破壊の記憶と、今も絶えない祈りとが、ここでは分かちがたく共にある。アユタヤ歴史公園は1991年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。戦火をくぐった仏たちは、今、人類共通の記憶として、そして今も生きた信仰の対象として、静かにこの地に在りつづけている。

壊されたものを見つめることは、平和を願うことでもある。袈裟の橙色を思い出すたび、私はあの日、廃墟の中で手を合わせた自分を思い出す。


この記事は「破壊をまぬがれた仏たち」をテーマにしたアユタヤ訪問記です。同じ日に歩いた寺院の、崩れた塔や、首を切られた仏像たちについては、別の記事でお伝えしています。

▶︎崩壊した建物たち ― 戦火をくぐった王都、アユタヤ

▶︎首を切られた仏像たち ― アユタヤに残る、破壊と祈りの記憶


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